2017年11月16日放送「衝撃のアノ人に会ってみた!2017秋」に「田中寛重(たなかひろしげ)」という方が登場!
田中寛重さんは1990年箱根駅伝大会で、駅伝の命綱であるタスキを忘れてしまうという珍事件を起こした方なんです!
そのような衝撃的な出来事を起こした田中さんは今何をしているのか!?といった事を番組が調査!
果たして、現在の田中寛重さんはどういった生活を送っているのでしょうか。
田中寛重さんのプロフィール
【 #箱根への道 】ド緊張!タスキ忘れて 山下り…90年大会、亜大6区・田中寛重選手 https://t.co/dTlVafE29o #スポーツ新聞 pic.twitter.com/l5GPjZpzQ3
— スポーツ報知 (@SportsHochi) 2016年12月7日
- 名前 田中寛重
- 出身地 東京都町田市
- 生誕 1970年
- 血液型 A型
- 最終学歴 亜細亜大学中退
田中寛重さんは、1990年の箱根駅伝大会に出た実績を持つ方なのですが、この大会で、駅伝の命綱であるタスキを忘れるという珍事件を起こしてしまいました。
亜細亜大学を3年生の時に中退し、24歳で電気通信工事業の会社に就職。30歳で独立します。
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箱根駅伝でタスキを忘れてしまう!
1本のタスキを次の走者へと繋げていくのが駅伝の醍醐味ですよね。区間を走っている間は走者の孤独な戦いですが、一秒でも早く次の選手に渡そうと必死になる選手を見ると感動するものがあります。
そんな箱根駅伝で歴史的珍事件と言われるのが、1990年に起こった亜細亜大学タスキ忘れ事件です。
当時、1年生ながら亜細亜大学の6区を任された田中寛重さんは、少しでも上位校との差を詰めようとスタート!
しかし、スタートから50メートルあたりで、ある異変に気づきます。
それは「タスキがない!?」ということでした!
タスキがない状態でスタートをしてしまったことに、スタートから50メートルの距離で気づき、Uターン。
その時の動画はこちら↓
↑↑↑
これが箱根駅伝、伝説のタスキ忘れのシーン。
第66回(1990)、亜細亜大学 pic.twitter.com/JJqLwI5Sv9— せんせい (@ddydt28) 2017年2月23日
タスキを持っていたのは、前日の5区走者である「松葉和之」でした。
田中さんがタスキを求めて猛ダッシュしている姿を見て異変に気づき、タスキを渡すのを忘れていたことに気づいた松葉さんが、なんとか田中さんにタスキを渡すことに成功。
タスキを渡すのがスタートラインの前方だったら失格になっていたものの、今回のケースではスタート後方でタスキの受け渡しが行われたため、失格は免れたんだとか。
その後、タイムロスを挽回しようとしますが、6区14位という結果におわりました。
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田中寛重さんの現在は社長!?
現在は、2006年(30歳のとき)に立ち上げた会社で社長をされています。
まとめ
いかがだったでしょうか。
箱根駅伝で伝説のタスキ忘れをした田中さんについて紹介しました。
改めて考えると、1年生ながら箱根駅伝を任された田中さんは凄いんだなと感じますね!
その一方でタスキ忘れ事件は、後世に残る記憶となるのではないでしょうか!